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 僕のかみさま

 子供の頃────つまり実験動物(モルモット)だった頃、骸にとっての「神様」なんていなかった。正確に言えば、そんな存在を知る余地などなかった。エストラーネオの連中にとって骸達はまさしくモルモット、実験をするための素体であり、神様を信じる「人間」などではなかったのだから。
 神様だの宗教だのを知ったのは、六道の眼を埋め込まれ、エストラーネオを壊滅させた後だった。六道輪廻という概念と能力を理解するために、生きるための知識を漁るついでに宗教というものを理解した。血濡れた研究所の私室に聖書が置いてあったのには思わず嗤ってしまった。これで白衣の下にクロスを掲げていたら笑うどころでは済まなかっただろう。非道の限りを尽くし、悪魔よりもなお醜悪な笑みで嬉々として子供らを弄り狂わせ捌いていたあの連中が、何をもって神の前に立つというのか!
 聖書を聖典を経を読んだところで、「神様」なんてものがいるとは骸には思えなかった。前世の業で生まれ変わる六道の記憶、三悪道と呼ばれるそれより、三善道の一つとされる人間が一番醜悪だなんてお笑い種だ。全知全能の「神様」がいるなら、人間なんて作りやしない。「神様(すくい)」は存在しない。だから骸は胸の奥に燃えさかる憎悪の炎を復讐の篝火に変えて、自分の手でこの世界を清めようと思った。世界から、救われようと思った。それしか見えなかったのだ。


 げほり、と吐き出した吐息は朱に濡れ、体内、臓腑からごぼごぼと何かが抜けて噴き出すいやな音がする。別の場所で動かしていた有幻覚はとっくに消えただろう。生身の体で潜入するのは久しぶりだった。敵地では有幻覚を動かし、自身はバックグラウンドを探り、操る。それが骸の基本スタンスだったはずなのだが、今回の案件はあまりに厄介で、守護者総出でかけずり回らねばならなかった。有幻覚と本体と、一人で二人から数人分の働きが出来る骸は勿論、それに相応しい量の役目を担うこととなった。結果、血反吐を吐いて地べたに転がる現状にふと苦笑する。へまをしたわけではない。相手が上手だったとも思わない。ただ、運が悪かった。それは認めるが、自分だけが運が悪いなんて冗談ではない。出来れば雲も無様に地べたに転がっていてほしい。後で鼻で笑われるのだけは御免だ。
 クロームから悲鳴のような通信が入っている。現在位置は伝えた後だ。辛うじて致命傷ではない、だがこのままだと危ないだろう。そう思いつつも、ここで死ぬことはないだろうと骸は確信していた。
 とっくに鼻は麻痺していたが、周囲は鉄錆の臭いがする赤い血に濡れている。エストラーネオを壊滅させたときも、地面が浸るほどの血が流れていた。あの時は骸自身の血はほとんど混じっていなくて、怒りと憎しみと、歓喜と絶望に身が灼かれていた。今は指一本動かすのもしんどいが、気分はなんとなくすっきりしている。

 ────彼はきっと来るだろう。

 骸の一部であるクロームや犬や千種よりも早く。本来誰よりも奥で守られていなければならないはずなのに、誰よりも先陣を切って、戦う人。
 憎くて堪らなかった。マフィアの栄光を形にしたような座に座る、ぬくぬくと温かな環境で育てられてきた、甘ったれの子供だった。それを使って全てを壊してやりたかった。世界を清める炎として使いたかった。清められたのは、骸だ。あまりにも大きすぎる力の所為で、適合した骸でさえ振り回されていたと言ってもいい、六道の眼を、浄化した。骸そのものになりつつあった、マフィアへの憎悪も、焼いてしまった。憎しみそのものが消えることはないけれど、骸自身をも諸共に焼き尽くさんとする破滅願望にも似たそれはもう、ない。
 だけど認められなくて、反発して、取引しなければ命も自由も保障されない現状に苛立って、顔を合わせる度に皮肉と敵意を向けた。協力するのはあくまでこちらの都合の結果だった。守護者なんてものをやっているのもそうだ。骸の一部の為に、利用しているだけ。そのはずだった。
 彼がボンゴレを継いで、霧の守護者として本格的に仕事を請け負うようになって数年、とっくの昔に本心には気付いていた。認めるつもりはなかったし、言うつもりもなかった。だけどああ、もう、いいかもしれない。
「……綱吉、くん」
 今まで背負う立場でしか呼ばなかったその名を、噛み締めるように骸は呟いた。

 ────骸を助けに来るだろう。

 彼は骸がしてきたことを知っている。仲間達を傷つけられたことを許してはいない。それでも、クローム達の為だけでなく、彼自身の意思で、骸に生きて欲しいと願うだろう。
 骸の、大空は。────かみさま、は。
 祈らなくても、望まなくても、光の下に引きずり出してあたたかなもので包んで大切にして、生きろと言って、救いにくる。
 「神様」なんていないはずの世界を焼き尽くす、あの温かいオレンジの炎を、骸は静かに待っている。

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うちの骸さんにとって基本ツナさんは「世界を変えたかみさま」です。

(18.05.28)


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